2009年10月07日

ミカエル・カレッジ秋の集中講座 「言語造形 その後」 (kyonko)

言葉って、なんだろう



頭で考えるんじゃなくって
身体で感じていた5日間


ミカエルカレッジでの学びでは

そのまま受け入れること 
理論で考えないで
感じることを

大事にしようと思うことが多い
今回も、それを大切に過ごした5日間だった。

今まで私が知っていた「役を演じること」と 言語造形の違い

それは

自分の思い描いている主人公を語るか
自分の中に生きている主人公を語るか
の違いだと思った

前者が今まで私の知っていた「演じること」
後者が言語造形で学んだ芸術の世界

具体的には、、
今回の授業では、ひとりひとり好きな物語を持ち寄って、
それを読みました。

私は『モモ』のベッポじいさんのところを読んだのね。

「演じよう」と思ったら、声色を変えたり、話し方を変えたりして
おじいさんみたいに読むこともできるでしょ。

けれど、あえてそれをしない。
淡々と読むの。

授業では、普通に淡々と読みながら、文章の流れに合わせて、文章が運んでいく
言葉が運んでいくのと同時に、歩いて読んだ。

本当に歩くの、教室の中を。
みんなの前で。
一人歩いて。

そして、おじいさんの心境がウキウキしている時には
スキップして淡々と読んだり
せかせかしている時には、全速力で走りながら淡々と読む。

そして、淡々と読むだけではなくて
言葉の響きを大切に、一語一語大事に読む。

響きを出すのに、身振りを大きく使ったり
目線を変えたりする。

その他ほんっと色々するんよね。

そうやって、思考の部分(頭)では淡々と読んでいながら
次第に
感情(心)や意志(身体)の部分で表現できるようになる

そしてそして

身振りを使わなくても
歩かなくても

淡々と読みながら

心で朗読できるようになる


説明には難しいなぁ


でも、言えるのは
私は今日、本当に心で朗読したって思った
私の中のベッポじいさんが歩いてたもん
それだけでもう、お腹いっぱい 笑

人は誰しも
子どもも、おじいさんも、動物も
その素はぜんぶ持っているんだと思うって
先生が言っていたっけ

今日は、最後の発表でみんなの前で朗読した。

読むことで
こんなに心が動いたのは初めてだった。

心って、動くんだよ


読み終わったとき
もう足がガタガタして、立っていられなくなって、座ったら
涙が出た

私は私で満足 うんうん


最初に汗びっしょりで困難だと感じたのは、きっと、
今まで演じることに慣れてきたからかな


ミカエルカレッジ ばんざーい
言語造形 ばんざーい

posted by chiharu at 12:02 | Comment(1) | 講座体験レポ

ミカエル・カレッジ秋の集中講座 「言語造形」 (kyonko)

イヤだなー
イヤだなー
イヤだなー

と思っていた言語造形

夏のプログラムに参加された人たちの発表をみて
面食らってしまった



文章をみんなの前で読んでるんだけど

なんだか大きな声で
身振り手振りが大きくて
恥ずかしくなっちゃう感じで

私がこれをやるのは
イヤだなー

と夏からずっと思っていた

言語造形



授業の初日には、汗で全身びっしょりになった

久しぶりだ、こんなに身体が反応したのは 笑



明日は最終日の5日目です。

感想?、、、フフフ
posted by chiharu at 11:59 | Comment(0) | 講座体験レポ

2008年11月07日

語り芝居 宮沢賢治「呼吸する世界」

2008年11月1日(姫路) ・ 2日(大阪)

語り芝居 宮沢賢治「呼吸する世界」


当日アンケートより、ご本人の承諾をいただいたものから抜粋して掲載しております。
ご来場くださった皆さま、またご感想をお寄せくださった皆さま、誠にありがとうございました!


メール
とても良かったです。特に「なめとこ山の熊」感動しました。竜のはなしも、絵本で読んだりするのですが、又、ちがった雰囲気でよかったです。皆さんとても、しっかり声を出しておられたので驚きました。又、公演に行けるのを楽しみにしています。(S.Y.)

メール
賢治の世界は、悲しくて切なくなってしまいます。
けれども、その先に光があることを強く感じました。素晴らしい公演でした。(T.Y.)

メール
文学の入口に、ああいう表現方法があるんだと感心した。人のこころをつかみやすい表現だ。
中学一年の孫にみせたかった。(B)

メール
甲乙つけがたい。一人一人の方が素晴らしかった。耳が悪いがよく聞えた。
いい世界をありがとう。(S)

メール
姫路の舞台を拝見いたしました。舞台って、演者と客で作るんだなぁ、と実感。ボケっとしていたら、するりと抜けて行ってしまうくせに、こっちが集中した途端、ガンガン立ち上がってくる世界。有機物(?)としてのコトバの世界に浸ることができました。生々しくて、体温があって、こっちの取り扱い方によって形を変えてしまう、そういう繊細でデリケートなコトバ。思い切り浸って、ふと気づけば保育園の迎えの時間でした。
日ごろ、デジタルな記号・情報としてのコトバに囲まれて働いています。周りに果てしなく溢れ、否応無く取り囲まれているそれらを、取捨選択して、素早く処理すべき情報としてのコトバ。「あ、そのデータ、共有サーバーに入れといて〜」というようなモノ。何と戦っているのか、想像力を封じ込め、猛スピードで行き来するコトバたち。そういうものの対極にある「言語造形」に触れることで、コトバに対するバランスをとり、コトバの魅力を再確認しているのかもしれません。
あ、その場で消えてしまう貴重なものという点では、言語造形は音楽に似ているかもしれませんね。ちゃんと楽譜があるのに、誰がやっても個性がそのままに出て、それがまた味わい深い所なども。
ちなみに、あの日、私の中でもっとも立ち上がったコトバはガンジスが逆流する時の群集の声「おおぉ……、おお〜〜っ!!」でした。やるな〜擬音の「O」。ただの「O」の分際で(?)すごい存在感でした!博士がこどもたちの意見を聞いている時の「うんうん」というような、ほとんど音のない相槌だって、結構鮮明に覚えています。山の斜面だか水面だかがキラキラ光っている映像も浮かぶんですが、あれは、なめとこ山でしたか? それとも最初の序文でしたか?何なんでしょうね。フシギです。(オキツ)

メール
極めて浸透性に富んだ、印象深い諸作品に仕上がっていると思います。
音響(ピアノ)もよく、何よりも一人一人の声の響きや振動に引き込まれました。あの日は、本学の大学祭メインデ−でしたが、そちらを尻目に語り芝居に出かけていって、とても充足しました。
超高度高速な情報流通環境に押し込められた今日の人々が、心を熱エネルギ−に変換して、あのような言葉をまるでドラゴンの炎の息のように吐き出す様は、生々しい魂の裸体に触れた思いがしました。
身近な関係や場面にあっての本当の気持ち、「重い想い」を伝えることが出来にくい今において、自身を耕すこと、そこに秘めた宝を育み磨くことの殊更の大切さをしっかり胸に刻む舞台でした。
あのとき、沢山の観客が、身じろぎ一つせずに食い入っていた様が、今も脳裡に蘇ってきます。今後とも、炎の魂をあでやかに放って下さい。研鑽の程を!(O.S.)

メール
この舞台を見て、最初に思ったことは「もう一回みたい!」ということでした。
私にとって初めての世界観で、冒頭からぐっと引き込まれました。私は幼い頃からピアノと親しくしていました。そして、ピアノと生きるなかで音楽と向き合ってきたので、とくに「音」や「響き」に自然と着目しました。 今回の舞台では、「ことば」が「音」となって、客席まで届くのを心地よく感じ、「ことば」が、語り手の方の呼吸とともに「音」や「響き」になって私の心の奥深くまで伝わってきて凄く素敵でした。
この世界に凄く興味を覚えました。もっとことばが上手く使えたら…と思います。私はずっとこんな思いを音楽(ピアノ)にしてきました。形として見えない感情や、言葉にならない「ことば」を、音楽という表現で今回も舞台後に即興で作曲するのです。今回も、舞台(とくに、『学者アラムハラドのみた着物』)を観て感じたこと、そして考えたことをそのまま音にしました。その音楽は、今回この舞台を教えてくださった出演者の花岡さんに聞いていただきました。
このような舞台を観ることが出来て、本当に幸せな気持ちになりました。千晴さんの第一声の音の響きが、とくに心地良く聞こえたのを覚えています。今度の舞台も観にいきますので、案内などよろしくお願いします!(S.K.)

メール
久しぶりの語りの舞台、よかったです☆
物語の情景・・・空気感、登場人物の皮膚感、音、色、輝き・・・が、ことばと共に、はっきりと伝わり、イメージが浮かんだ時は、とても気持ちよかったです♪2時間30分もの、長い舞台でしたが、時間の長さを感じませんでした。シンプルで、美しい演出でした。(T.H.)

メール
練り上げられた一人一人の言葉の響きが、ホールいっぱいに、それぞれの方の色彩とメロディとなって拡がっていました。たくさんの言葉の種を植えていただいたように感じています。
その種は、少しずつ成長して、必要な時に、気づきの花となって私にメッセージをくれるのだろうという予感があります。今は通り過ぎるだけであったとしても、必要な時に力になってくれる。
そんな気がします。(S.T.)

メール
まさにことばが立ち上がってくることを味わい、ストーリーテリングとの違いを実感しました。
千晴さんの声は日常会話と随分違うように思いましたが、かといって作り声ではなく、人本来のひびきのように感じ、メッセージがよく伝わってきました。「学者アラムハラド」も良かったです。
こころと身体を空っぽにし、真実を求める人間本来のあり方は、キリスト教に通じるものであると共感しました。
前に聴いた「高瀬舟」、人間の本性をクリアに描き出すような諏訪先生の語りもとても良かったです。聴く者もエネルギーを与えられたような気がします。(T.N.)

メール
新しい試みの語り芝居でした。来場する前に作品を読んでおけばよかったと思います。
花岡さんの演技がよかったです。(R.T.)

メール
劇を見ていると、まさに「呼吸する世界」だなと感じました。
言葉は、意味の前に音であるということを思い出しました。そして、音は空気の振動なのだと言うことも思い出しました。普段生活していると、ついつい言葉の意味を探ろうとしてしまいますし、また自分が話す時も、相手に自分の発言の意味を伝えようと考えてしまいます。いかに、普段の自分が早口でものを言っているのかを実感させられました。相手に伝えるには、もっとゆっくりと噛みしめて話さないといけないんですね・・・
宮沢賢治の話自体は、何となくしか分からなかったのは正直なところです。でも、彼の文章の響きを存分に楽しみました。あの非日常感は、心地いいものでした。(さしみのつま)

メール
音響がよかった。青白い日の光りを受けた、なめとこ山の熊たちの姿が目に浮かび、その世界に浸っていた。(Y.M.)

メール
前回の会場とは違った広い会場で、舞台の役者さんと私たちとの距離があった分、「舞台」としての世界が繰り広げられていたと思います。そこでは前回に比べ、衣装、動き、照明や音楽がより大きな役割を果たしていたような。。。その効果がとても良かったです。音楽、素敵でした!

役者さんの動きの対比があり、見ごたえがありました。また、そのなかで、お一人お一人の存在感がはっきり出ることを感じました。私にとっては、特に強く感じられたのは千晴さんの存在感でした☆ 諏訪先生はもちろんなのですが、千晴さんが波で出てきた時も、主役で語られている時も、舞台の空気が変わり惹きつけられました!なめとこ山の熊も、すっかり舞台が物語りの世界となっていて、一緒に呼吸させて頂くことができました。素敵でした〜。

言語造形ということで、観る側にも、観よう聴こうとするパワーが要求されているような気もします。お気楽だったり、娯楽ではない分、ふらっと楽しみに来るという感じではないので、結構、観る側にもパワーがいるような。。。来てくれた友達は「なめとこ山の熊、よかったわ〜」と言っていました。「お話の世界」としての楽しさがあったのかな、と思います。(old-island)
posted by chiharu at 13:40 | Comment(0) | アンケート

2008年09月30日

水曜講座(読書会)と私 (old-island)

水曜講座に行くと、先生や他の方々のお話が聞けて、、、すごく学べる。
学べることが、すごく楽しい。
だから参加させていただいている。

最近、バンプオブチキンというバンドのボーカルの藤原基央さんに
すごく心惹かれている☆
暇さえあればネットで歌声やインタビュー映像やプロフィールなど、
果てしなく検索してずっと見ている。

私にとっては、この藤原さんと水曜講座はつながっている☆
水曜講座で学んでなかったら、
ここまで藤原さんに惹かれなかったかもしれないなぁ〜と思う。

バンプの曲は藤原さんが作詞作曲して歌う。
声は本当に素敵なのだが歌詞の言葉の選び方や表現が素敵で、
そして、「今を生きる」「世界は自分の意識そのもの」「大丈夫。大切なのは本当の自分を見ようとすること」。。。
いつも講座で諏訪先生が話してくださることが、そのままのように感じる内容の歌詞が、
一曲のなかで物語のように語られている。
その良さは、『物語を語る諏訪先生の「いかにして超感覚。。。」の講座』に参加させてもらって
いなかったら、今感じているようには感じられなかったかもしれないなぁ。。。と思う。
またひとつ、水曜講座に参加させていただいていて良かった☆と思った。
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 「水曜クラス」レポート

2008年09月02日

今を生きるって、こんな感じ? (old-island)

ある日。
我が家の子ども達(小6女と小3男)が、友だち数人と近所の公園で野球などをして遊んで、
また、友だちと一緒に我が家に帰ってきた。
そして家で飼っている手乗り文鳥(4羽)たちを手に乗せたりして遊びながら、
その友だちの女の子(小4)が言った。

「あ〜、今日もたのしかったわ〜〜。」

その言葉を聞いて、私はすご〜く幸せな気持ちになった。
夜寝るまでずっと満たされた気持ちだった。
そして、思った。

そうか、一つ一つを「楽しかったな〜、嬉しかったな〜」って思って過ごすことが、
今を生きる、っていうことなのかもしれないなぁ、と。

そして、そうやって、「今日も楽しかった〜」って、そういうことがさらっと言えるってすごいなぁ、
私もうちの子も言ってないなぁ、見習おう!と。

ちょっと、「今を生きる」ってどんなことか、わかったような気がする。
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 「水曜クラス」レポート

2008年07月22日

内的にみる (玉井 澄恵)

出来事をどうとらえ、どう考え、どう見るか、外的な問題を内的にみることについて学んだ。

先日、友人が「鼻が痛いんだけど、何だろう」と言う。
鼻から連想されるものを考えてみた。

目に見えないにおいを感じる器官だし、鼻が利くという言葉からは、第6感的なものを感じる。
鼻が高い、鼻をへし折る、鼻が高い、と言う言葉からは、プライドに関するものを感じる。

何となく、後者のことに関係しているように感じ、
プライドを傷つけられたと感じたことや、自己嫌悪に陥るようなことはなかったか聞いてみたら、
実は、人事異動があっていろいろな思いをしていると話してくれた。
ほんとに痛みはいろいろなことを教えてくれる。

現象があり、原因がわかる。
そこで大切になるのが、それをどう受け取り、どう解釈し、どう働きかけるかということ。
その現象は、より大きな尊い自分が、この人生において必要なので引き寄せたものであると認識する。
ということを改めて心に刻んだ。
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 「水曜クラス」レポート

2008年07月15日

物質の不思議 (old-island)

「燃やす」という性質を受肉させたものが「酸素」。
物質が先で性質があとなのではなくて、性質が先で物質が後なんですよ・・・とのお話しを、聞いたことが以前にあった。(4年程前に吹田市で参加したことがある森章吾先生のテオゾフィーの講座で。)

私が通っている料理教室で、先日身近なものでの手当法をいくつか習った。
・・・キャベツや葉物野菜などには「熱をとる」性質があるので、発熱の時などに頭の下に置くと
熱を自然に吸収してくれます。
そして、使った野菜は毒素を吸ってくれているので、使用後の野菜は食べないでくださいね・・・というお話を聞いた。
その日の夜、子どもが湿疹が痒いというので、その話を思い出し、「毒素を吸ってくれるんだったら、湿疹にあてるのもいいかもしれない」と思いついて、キャベツをあててやった。

キャベツは料理ではおなじみの野菜だけど、湿疹にあてる、という使い方をしたのは初めてだった。
キャベツって知ってる?って聞かれたら、知ってるに決まってるやん!って思うけど・・・
「熱や毒素を吸ってくれる」という性質を、お手当てに使ったことなんて今までなかった。
キャベツの姿形や味は知っていても、そんな性質は知らなかったんだから、キャベツなんて知ってるに決まってるやん!というのは違ってて、知らなかったんだなぁ。

知ってるに決まってるやん!って思ってる物のこと、実は何も知ってはいないかもしれないなぁ。
それに比べて、おばあちゃんの知恵袋のようなことを考えると、
昔の人はいろんなことを知ってたんだなぁ、と思う。

・・・小学生が理科の時間に「物を燃やす性質のある物質のことを酸素と言います」と習う時、
酸素の自然霊は喜んでいるのかも?しれない。
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 「水曜クラス」レポート

2008年07月06日

06/05 日曜アントロ講座 「なんか私らしくなった。」 (篠田恵子)

今日はことばの家の講座やった。
最近、シュタイナーが私を難しくさせてる気がして、読むのがおっくうになってた笑。

数日前、なんとか気持ちを落ち着かせることができたものの
これから進む道を選べなくているままだった。

今日は引き続き7年周期の話。
私はきっと今「想いを置いて考える」というステージにいる。
これは第4の周期なんだけど、だいたい22〜28歳。
私はただ中におります;。

想いというのは、今までの体験などから自分が信じていること、
自分のふに落ちていること等。
そういうのを一度置いて考えるということ。

私は今2つの選択肢があるけど
職場のすばらしい先輩を見て自分なりに信じてることや
あぁ、本当だった!と納得してる言葉などかある。
そしてそれを信じて行動を決めている。

それを置いておき、新たなものを自分に入れてみる。
その結果わたしがより深く見える。

私はそんなステージに立っている気が確かにする。

今日は、私が決断した日かもしれん。

とてもクリアになって、普段の私らしさが戻ってきてる。
無敵で強気で、好奇心旺盛で根拠のない自信に溢れている笑。
これ自分になっているときの状態だ。


やっと晴れた。


今日行くの恐かった。
でも行ってよかった!

感謝の気持ちでいっぱい☆
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 講座体験レポ

2008年07月01日

人間と悪とごぼうのアク (old-island)

物には霊的な存在が宿っていることや、
アーリマンやルシファーと呼ばれる精神存在について教えて頂いた。

人間は、悪のえじきになってしまいもすれば、悪と思えるものを救うこともできる、
という存在のようだ。
この「救うことができる」というのが、すごいなぁ、と思った。

自然物には自然物の霊が宿っている。
人間の行為によって物にこもるのはアーリマン。
人間が物質的な享楽を求めて作り出した物質にはアーリマンが宿る。

「理解されない」というつらさを持って、物のなかで暴れまわっているアーリマンがあったとして。
物を大事に扱ったり、理解、感謝することで、そのアーリマンをつら
さの闇から解放してやることができる・・・のだそうだ。

例えばここに着色料の使われているきゅうりのお漬物があったとして、、、
着色料に「健康を蝕んでやる」との意図はなく、人間の意図が不適切なだけなので、
毒物だと悪者のように思われるのは着色料にとっては不本意だろうし、
きゅうりにとっては身体に悪いものと合わせられてしまって無念だろう、と考えられる。
そもそも物質には意図がないのだから、物質自体には「悪い物質」というものはない、
ということになるかな。(すべての物質はもとは光からできている、と、どこかで聞いたことがあるけれど、そうかもしれない。)
「着色料は絵の具に使われれば役に立ったのにね、
きゅうりは本当は自然で健康なきゅうりとして喜ばれたかったよね。」
と思えば、アーリマンも慰められているのかな?

ルシファーについては、思想や学問、芸術、宗教など精神的なものへの関わりとして、
鵜呑みに信じ込んでしまう態度はルシファーのえじきになってしまう。
自分はどう思うのか?を考えて、自分の感じることを大切にして、
自分のものとして消化して、関わっていくなら、人間に光や美を与えてくれる。

アーリマンもルシファーも、人間の関わりによって、悪にもなれば、益にもなるような、
そういうもののようだ。。。

ごぼうの「アク」も、ちょっとそれに似ているかな、と思った。

料理する時に、「アク」は苦いから、「なくそう、減らそう」として、水にさらすのとは逆に、
マクロビオティックの料理教室では、「アク」は「甘み」に変わるので、
苦味が甘みに変わるまで火を入れる、よい香りになるまで炒める。
陰陽調和料理の方法では、食材を陰陽の性質を考えて鍋の中で重ね、
火を入れて対流させ、陰陽を調和させることで、アクも含めて、野菜がおいしく甘くなる。

ここで言う、火を入れる、の「火」は「お日様、太陽」につながると思うし、
人間でいえば「愛」につながるかな?

よくわからないながらも、面白いように感じる。
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 「水曜クラス」レポート

出来ないということ (西 京子)

何年前によんだのか、「いか超・・」の本には数え切れないほど選が引かれています。
大切なところに引いてはあるのですが、全然覚えていません。
とにかく、すぐ眠れる、読みたいのに眠くなる、・・・。
という記憶だけ・・・。
この講座に参加して以来、おかげで、多少書いてあることのいくらかはわかるようになったと思うのですが、出来ないことの多さに、自分を否定したりしてしまう自分の課題に余計悩まされています。
本はそんなことは書いてないのに・・・。
でも、、今、この出来ない、苦しさが、いろんな人の気持ちが、多少わかるきっかけになっているようにも思えます。
理想と現実の間で苦しむ毎日のなか、しっかり心を通しつつ、
出来ない自分を許し、静かにそんな自分を見守ってあげたいと思います。
posted by chiharu at 00:00 | Comment(0) | 「水曜クラス」レポート