2008年11月07日

語り芝居 宮沢賢治「呼吸する世界」

2008年11月1日(姫路) ・ 2日(大阪)

語り芝居 宮沢賢治「呼吸する世界」


当日アンケートより、ご本人の承諾をいただいたものから抜粋して掲載しております。
ご来場くださった皆さま、またご感想をお寄せくださった皆さま、誠にありがとうございました!


メール
とても良かったです。特に「なめとこ山の熊」感動しました。竜のはなしも、絵本で読んだりするのですが、又、ちがった雰囲気でよかったです。皆さんとても、しっかり声を出しておられたので驚きました。又、公演に行けるのを楽しみにしています。(S.Y.)

メール
賢治の世界は、悲しくて切なくなってしまいます。
けれども、その先に光があることを強く感じました。素晴らしい公演でした。(T.Y.)

メール
文学の入口に、ああいう表現方法があるんだと感心した。人のこころをつかみやすい表現だ。
中学一年の孫にみせたかった。(B)

メール
甲乙つけがたい。一人一人の方が素晴らしかった。耳が悪いがよく聞えた。
いい世界をありがとう。(S)

メール
姫路の舞台を拝見いたしました。舞台って、演者と客で作るんだなぁ、と実感。ボケっとしていたら、するりと抜けて行ってしまうくせに、こっちが集中した途端、ガンガン立ち上がってくる世界。有機物(?)としてのコトバの世界に浸ることができました。生々しくて、体温があって、こっちの取り扱い方によって形を変えてしまう、そういう繊細でデリケートなコトバ。思い切り浸って、ふと気づけば保育園の迎えの時間でした。
日ごろ、デジタルな記号・情報としてのコトバに囲まれて働いています。周りに果てしなく溢れ、否応無く取り囲まれているそれらを、取捨選択して、素早く処理すべき情報としてのコトバ。「あ、そのデータ、共有サーバーに入れといて〜」というようなモノ。何と戦っているのか、想像力を封じ込め、猛スピードで行き来するコトバたち。そういうものの対極にある「言語造形」に触れることで、コトバに対するバランスをとり、コトバの魅力を再確認しているのかもしれません。
あ、その場で消えてしまう貴重なものという点では、言語造形は音楽に似ているかもしれませんね。ちゃんと楽譜があるのに、誰がやっても個性がそのままに出て、それがまた味わい深い所なども。
ちなみに、あの日、私の中でもっとも立ち上がったコトバはガンジスが逆流する時の群集の声「おおぉ……、おお〜〜っ!!」でした。やるな〜擬音の「O」。ただの「O」の分際で(?)すごい存在感でした!博士がこどもたちの意見を聞いている時の「うんうん」というような、ほとんど音のない相槌だって、結構鮮明に覚えています。山の斜面だか水面だかがキラキラ光っている映像も浮かぶんですが、あれは、なめとこ山でしたか? それとも最初の序文でしたか?何なんでしょうね。フシギです。(オキツ)

メール
極めて浸透性に富んだ、印象深い諸作品に仕上がっていると思います。
音響(ピアノ)もよく、何よりも一人一人の声の響きや振動に引き込まれました。あの日は、本学の大学祭メインデ−でしたが、そちらを尻目に語り芝居に出かけていって、とても充足しました。
超高度高速な情報流通環境に押し込められた今日の人々が、心を熱エネルギ−に変換して、あのような言葉をまるでドラゴンの炎の息のように吐き出す様は、生々しい魂の裸体に触れた思いがしました。
身近な関係や場面にあっての本当の気持ち、「重い想い」を伝えることが出来にくい今において、自身を耕すこと、そこに秘めた宝を育み磨くことの殊更の大切さをしっかり胸に刻む舞台でした。
あのとき、沢山の観客が、身じろぎ一つせずに食い入っていた様が、今も脳裡に蘇ってきます。今後とも、炎の魂をあでやかに放って下さい。研鑽の程を!(O.S.)

メール
この舞台を見て、最初に思ったことは「もう一回みたい!」ということでした。
私にとって初めての世界観で、冒頭からぐっと引き込まれました。私は幼い頃からピアノと親しくしていました。そして、ピアノと生きるなかで音楽と向き合ってきたので、とくに「音」や「響き」に自然と着目しました。 今回の舞台では、「ことば」が「音」となって、客席まで届くのを心地よく感じ、「ことば」が、語り手の方の呼吸とともに「音」や「響き」になって私の心の奥深くまで伝わってきて凄く素敵でした。
この世界に凄く興味を覚えました。もっとことばが上手く使えたら…と思います。私はずっとこんな思いを音楽(ピアノ)にしてきました。形として見えない感情や、言葉にならない「ことば」を、音楽という表現で今回も舞台後に即興で作曲するのです。今回も、舞台(とくに、『学者アラムハラドのみた着物』)を観て感じたこと、そして考えたことをそのまま音にしました。その音楽は、今回この舞台を教えてくださった出演者の花岡さんに聞いていただきました。
このような舞台を観ることが出来て、本当に幸せな気持ちになりました。千晴さんの第一声の音の響きが、とくに心地良く聞こえたのを覚えています。今度の舞台も観にいきますので、案内などよろしくお願いします!(S.K.)

メール
久しぶりの語りの舞台、よかったです☆
物語の情景・・・空気感、登場人物の皮膚感、音、色、輝き・・・が、ことばと共に、はっきりと伝わり、イメージが浮かんだ時は、とても気持ちよかったです♪2時間30分もの、長い舞台でしたが、時間の長さを感じませんでした。シンプルで、美しい演出でした。(T.H.)

メール
練り上げられた一人一人の言葉の響きが、ホールいっぱいに、それぞれの方の色彩とメロディとなって拡がっていました。たくさんの言葉の種を植えていただいたように感じています。
その種は、少しずつ成長して、必要な時に、気づきの花となって私にメッセージをくれるのだろうという予感があります。今は通り過ぎるだけであったとしても、必要な時に力になってくれる。
そんな気がします。(S.T.)

メール
まさにことばが立ち上がってくることを味わい、ストーリーテリングとの違いを実感しました。
千晴さんの声は日常会話と随分違うように思いましたが、かといって作り声ではなく、人本来のひびきのように感じ、メッセージがよく伝わってきました。「学者アラムハラド」も良かったです。
こころと身体を空っぽにし、真実を求める人間本来のあり方は、キリスト教に通じるものであると共感しました。
前に聴いた「高瀬舟」、人間の本性をクリアに描き出すような諏訪先生の語りもとても良かったです。聴く者もエネルギーを与えられたような気がします。(T.N.)

メール
新しい試みの語り芝居でした。来場する前に作品を読んでおけばよかったと思います。
花岡さんの演技がよかったです。(R.T.)

メール
劇を見ていると、まさに「呼吸する世界」だなと感じました。
言葉は、意味の前に音であるということを思い出しました。そして、音は空気の振動なのだと言うことも思い出しました。普段生活していると、ついつい言葉の意味を探ろうとしてしまいますし、また自分が話す時も、相手に自分の発言の意味を伝えようと考えてしまいます。いかに、普段の自分が早口でものを言っているのかを実感させられました。相手に伝えるには、もっとゆっくりと噛みしめて話さないといけないんですね・・・
宮沢賢治の話自体は、何となくしか分からなかったのは正直なところです。でも、彼の文章の響きを存分に楽しみました。あの非日常感は、心地いいものでした。(さしみのつま)

メール
音響がよかった。青白い日の光りを受けた、なめとこ山の熊たちの姿が目に浮かび、その世界に浸っていた。(Y.M.)

メール
前回の会場とは違った広い会場で、舞台の役者さんと私たちとの距離があった分、「舞台」としての世界が繰り広げられていたと思います。そこでは前回に比べ、衣装、動き、照明や音楽がより大きな役割を果たしていたような。。。その効果がとても良かったです。音楽、素敵でした!

役者さんの動きの対比があり、見ごたえがありました。また、そのなかで、お一人お一人の存在感がはっきり出ることを感じました。私にとっては、特に強く感じられたのは千晴さんの存在感でした☆ 諏訪先生はもちろんなのですが、千晴さんが波で出てきた時も、主役で語られている時も、舞台の空気が変わり惹きつけられました!なめとこ山の熊も、すっかり舞台が物語りの世界となっていて、一緒に呼吸させて頂くことができました。素敵でした〜。

言語造形ということで、観る側にも、観よう聴こうとするパワーが要求されているような気もします。お気楽だったり、娯楽ではない分、ふらっと楽しみに来るという感じではないので、結構、観る側にもパワーがいるような。。。来てくれた友達は「なめとこ山の熊、よかったわ〜」と言っていました。「お話の世界」としての楽しさがあったのかな、と思います。(old-island)


posted by chiharu at 13:40 | Comment(0) | アンケート
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。